【人気コンテンツ】2016年度 インタビュー

横浜市立永田台小学校 住田昌治様

今回お話を伺ったのは…

 

 横浜市立永田台小学校校長、住田昌治様です。住田さんは、永田台小学校で校長になった数年前から、永田台小学校での学びに、ESD(持続可能な開発のための教育)の要素を盛り込んでいる。永田台小学校は、ESDを推進する学校・ユネスコスクールとして認定されている。

 

 今回は、そんな住田さんに、ESDとは何か、ESDに必要なものは何か、住田さんがESDを進めることになった経緯をインタビューした。

伺った話を4点にまとめますと…

1. ESDとは、「長い目で見た時によりよい行動ができる力」を身に付けるための「教育」。

2. 身近な問題を解決することもESD!


3. 得た学びを社会で生かすことと、「喜んでもらえた!」という実感が意欲を高める!

4. 教員も、「ケア」と「共有」で助け合えば頑張れる!

ESDとは、

端的に言えば、「未来を担っていける人を育てるための教育」であるだろう。

 

ESDとは「Education for Sustainable Development」直訳すると、「持続可能な開発のための教育」である。なんだかとてもわかりにくい。

 

だが、住田さんに、「なんだかとても難しそうですが、実際はそんなに難しいことじゃないんですよ」と教えていただいた。住田さんは「自分たちの身近にある問題=持続可能な開発を阻害するもの」ととらえており、「それを解決する試みこそがESDだ」と言う。

この一連のプロセスで得たものが、持続可能な社会をつくるヒントになる。

つまり、このプロセスこそがESD。

「自分が行動することで、「自分たちの身近にある問題=持続可能な開発を阻害するもの」を解決することができて、社会を変容させることができる」と感じることによって、学びが深まる。子どもたちが問題解決学習に取り組むことによって、実際に社会で必要とされている、「問題を解決する力」を身に付けることができる。

 

例えば、あなたが小学生だとしよう。お母さんは家事でとても忙しそうで、お父さんも仕事で忙しそうだ。もしここであなたがお母さんを手伝うとどうなるだろう?お母さんはきっと喜んでくれるし、もしお父さんがその話を聞いたらお父さんもきっと喜ぶだろう。この場合、「お母さんとお父さんの多忙」=問題、「お母さんを手伝う」=自分の行動、「お母さんとお父さんの喜び」=自分と周りの変容、と考えることができる。そして、「どう行動したらもっとよくなるだろう?」と考えることによって身についた力が、問題解決する力である。

 

しかし、学習指導要領でも問題解決の力は言及されている。学習指導要領とESDの違いはなんだろうか。それは、ESDが「社会を変容する」ことに目を向けている点である。「個人の人格形成」を目標としている学習指導要領に対して、自分の行動で社会変容をもたらすことを目的としたESDは対話的な深い学びであるといえる。

ESDを進めるための具体的な取り組み

ESDとは身近な問題を解決する取り組みを通して「自分の力で社会を変えられる!」と実感すること、そしてそれによって身につけられる学びだと分かった。では、ESDを推進するために永田台小学校ではどのような取り組みが行われているのだろうか。

 

私は、ESDについての授業が用意されているのかと思ったが、実はそうではなく「国語」「算数」といった教科の中に持続可能性について考えるための要素を盛り込んでいるそうだ。例えば、今年は「エコ」をテーマにESDを進めているそうだ。その場合、エコに関する授業をやる、というよりは、「今度修学旅行があるから、その中にエコに関する視点を設けよう」という感じである。

 

そして、日々の授業で学んだことを「社会」つまり学校外で活かせるかどうかを確認できるプログラムがある。

 

例えば、地域の高齢化でさびれてしまった商店街の活気を取り戻すために始めた「つながり祭」は、年々規模が拡大し、今では2か月に1回の開催となっている。また、5年生が取り組む、認知症に関する地域課題として「いのちの授業」も行われている。これらの活動を通して、生徒たちに「自分のやったことでみんなが喜んでくれる」という喜びを体験してもらうことが、さらにその先の学び・行動につながる。

 

そして、ESDから学びを得て、それを社会へ生かすまでの流れを「もみじアプローチ」と永田台小学校では呼んでいる。

1人1人が自分のペースで、もみじがゆっくりと色づくように学びを深めていくことを目的とした試みである。

ESDを進めると

住田さんは「ESDを進めるために必要なのは、教員自身が元気でいることだ」と語る。ESDを推進することで、元気が出たり、忙しさが減ることが、持続可能な社会のための教育に大切な要素であると住田校長は考える。ESDを進めると元気がなくなってしまうようでは、その教育は持続可能ではないので、ESDであるとはいえない。ESDを進めることで何かしらの利益が出なければ、その教育を持続させることはできないだろう。

 

教員も、子どもたちも、元気に学び続けることができるために大切なのは「ケア」と「共有」だ。

 

 「ケア」とは、まず自分自身をケアするために自尊感情を持つこと。そして、他者や環境のケアをすることだ。今年の永田台小学校の目標は「一人一人が輝く永田台」、つまり、「一人一人が自尊感情を持つこと」である。自分に自信を持って、自分の言葉で自分の意見を発信できることができるようになるために、今年は、直感・ひらめきなどの「感性」を大切にしているそうだ。今までは、「効率」が求められる時代で、思いつきや直感などは重要視されなかった。しかし、科学技術の進んだこれからの時代は、「効率」は機械に取られる時代だから、「感性」を大切にして、「ただの思いつきだから…」と自分の意見を引っ込めてしまわないようにする教育が必要なのである。

 

そして、他者のケアをするために必要なのは「共有」だ。教員同士が「この学年は今度こういうことをします」というように情報の共有を行う。そうすることで、お互いをケアすることができる。何かあったときに、誰かが抱え込むことなくチームで問題に対応することができるので、持続的に働くことができる。

 

皆が思いつくままに意見を言うことができて、皆が仕事の進行具合を把握できていて、皆が助け合い、支え合うチーム。それはとても素敵で、楽しいだろう。確かに、そんな職場があれば楽しく仕事を続けられそうだと感じた。

 

実際に、インタビューの間、職員室から先生方の楽しそうな談笑が聞こえていた。

住田さんがESDを進めることになった経緯

住田さんが永田台小学校の校長になって7年がたつ。住田さんがESDという教育の形態の存在を知ったのは永田小学校に来る前、倉田小学校にいた頃のことだ。

 

 倉田小学校では、環境教育として子どもたちと野菜作りや稲作を行っていたのだが、住田さんはそのような環境教育の在り方に疑問を持った。確かに、野菜や米を自分たちで育てることで、自然とかかわり、食べ物の大切さを知ることができる。しかし、それでは「作る」ことが目的化していて、環境問題について考える視点が養われていないのではないか。例えば稲作なら、稲の育て方を学んで、実際に育てるだけではなく、田んぼに必要な「水」について、今地球上でどのような問題が起こっているのか知って、それを解決しようとする試みができるのではないだろうか、と住田さんは考えた。

 

そんなとき、環境経営学会の方に出会い、ESDという教育のあり方を知った。そして、その考えに賛同した。

 

その後永田台小学校に移ることになった。永田台小学校では、住田さんの求めていた、問題解決学習がすでにある程度行われていた。住田さんは、永田台小学校をユネスコスクールにしようと考えた。ESDを推進しているのがユネスコだからである。ユネスコに、永田台小学校は、平和や平和から派生する様々な課題解決の実現と、質の高い教育に学校全体で取り組んでいることをアピールした。そして、永田台小学校はユネスコスクールとして認定された。

 

しかし、困難もあった。それは、ESDの認知度の低さと、概念の難しさである。あなたはESDと聞いて、それが何なのかわかるだろうか。多くの人は、聞いたこともなかったり、正しくは何のことなのかわからないのではないだろうか。

 

知りもしないものを学ぶことは難しい。住田さんは、その問題を、「他人をケアすること」や、「いのちの問題」など、ESDのエッセンスを浸透させることから解決していった。先に述べた「もみじアプローチ」のように、徐々にESDのエッセンスを広めていったのだ。住田さんは「3~4年目に変化が大きく、最低5年ぐらいかける必要がある。」と言う。「みんなで何かひとつのことに取り組むことで子どもが変わっていく喜び」を先生たちに実感してもらい、徐々にESDの教育形態を広めていった。

大学生へのメッセージ

住田さんは、大学生にも「みんなで何かひとつのことに取り組むことで周りも変わる」ということを体感してほしいと考えている。

 

共通の課題を見つけて、一緒に取り組んでいけるプロジェクトを行ってほしい。同じ課題に取り組んでも、様々な視点が生み出されるだろう。様々な視点が得られたら、次はそれらを掛け合わせて、よりよい新たな視点を生み出し、課題解決を図ってほしい。

 

というメッセージをいただいた。

 

 

この記事を読んでいるあなたにも、「横浜の課題」を見つけ、それに取り組み

その結果社会が変容し、周りが変わっていくことを体感してほしい。

 

(文責:長浜)